VOYAGER

旅と絵の物語

告白〈続き、長いです〉バルセロナの神さま

「何かお困りですか?」と聞いてくださった青年は、Tさんといい、事情を話すと、僕は15年バルセロナに住んでいるので領事館にはいつもお世話になっている、電話されるならば僕の電話を使ってください、と言って携帯を貸してくださり、結局私を在バルセロナ日本総領事館まで連れて行ってくださることに。

タクシーにのり、彼は運転手さんともお話して、運転手さんは「なんくるないさー」と降りるときに私を励ましてくれました。

領事館はビルの中でしたが、私一人ではとてもすんなり入れなかったと思います。Tさんはセキュリティ厳しい入り口をはいり、エレベーターで二階(かな?)に上がり、日本領事館に案内してくれました。

窓口の若い女性の方に、先ほど電話したものです、といって、パスポートの再発行をお願いすると、

①戸籍謄本を日本の家族に取ってもらいメールに添付して送ってもらう

②再発光手数料79ユーロを、日本から送金してもらう(ウエスタンユニオンという送金用の方法で)

③写真2枚

 

が必要とのこと。

私は持参した戸籍謄本と写真1枚を出しましたら、あ、これは原本ですね、と少し驚いておられました。でも写真は2枚必要とのことで、近くの写真屋を教えてもらいました。

でも、領事さんの取り計らいでなんとかコビーをしてもらい、写真はオーケー。そしてなんと79ユーロはTさんが建て替えてくださることに!

これで必要なものは揃ったので今日中に再発行ができます、よかったー!

と喜んだのもつかの間、警察が作ってくれた盗難届の書類のとられたものリストに、パスポートが入ってないので、これでは再発行できませんよ、と言われ、、、もう一度警察に行って書類を作り直してもらって、と言われてしまいました。警察って、さっきのところはどこなのか見当もつきません。さっきの警察ではなくて近くのところでいいでしょうということで、またTさんに連れて行ってもらい、受付の方に説明してくれて、盗難届の追加分を書いてもらいました。混んでなくて良かったです!

領事館に戻り、書類を出して、(その時にはもう新しいものができてました!ありがとうございます!)無事私はその日のうちに再発行してもらえるという奇跡を経験したのでした。

Tさんとは領事館のビルの前でお別れし、その後は、領事館の女性職員の方がお二人、バスに乗って駅まで送ってくださり、切符を買って空港行きの電車に乗るまで見届けてくださいました。本当にありがたかったのです。

飛行機にはちゃんと間に合い、チェックインも済ませ、(Tさんが、パスポート番号が予約の時と違う理由をスペイン語で説明した紙をくださってましたので問題なくチェックインできたのでした、なんて細かいお気遣い)荷物も預けてホッと一息。

ところが!

ちゃんと搭乗口に並んでいたはずが、なんとボローニャではなく、同じ8時40分発の、ブタペスト行きの搭乗口だったのです!たぶんわたしはまだ平常心を失ったままだったのでしょうね。

とぼとぼとライアンエアーのオフィスに行き、そこにぽつんと置かれた白いスーツケースと再会。乗らなかったから荷物は降ろされたのでした。

次の便は明日の朝8時、キャンセルできないチケットだったので、チケットの買い直し。100ユーロ。(これは日本に置いてきたマスターカードの番号を控えていて、そのメモがスーツケースに入っていたので、その情報で買えました。それもなくしてたら、と思うと気が遠くなります。この、日本に置いてきたカード、何故おいてきたか話すと長くなるので書きませんが、偶然の出来事で、置いてこなければならなくなったのでした。ほんとに良かった)朝四時半にカウンターに並んで、といわれて、ベンチでしょんぼり。他の人も何人かいましたので怖くはなかったです。領事館でいただいたもみじ饅頭を食べ(美味しかったー)、パソコンの充電のできる場所で、少しはうとうとできたでしょうか。

朝3時半ごろからカウンターに並び始めた人たちがいたので私も並び、チェックインをしました。

もうほんとにせっかくみんなが頑張ってくださって飛行機に間に合わせてくださったのに、何ということでしょう。歳のせいとは思いたくないけど、搭乗口を間違えるなんて人生初めての失敗でした。おかげでボローニャで予約していた、この旅で唯一のまともなホテルが無駄になりました。

6月1日はほんとーに暗黒の一日、一日中喉がカラカラ、心臓はドキドキ。でもそんな中で出会った優しい人たち、見ず知らずの私にずっと一緒にいて助けてくださり、おまけに100ユーロ15000円ものお金を貸してくださったTさん、融通を効かせてくださった領事さん、何も食べてないでしょうと、もみじ饅頭をくださり、バスに乗って送って来てくださったYさんと?さん(伺ったけど忘れてしまいました)、皆さん本当に本当にありがとうございました!わたしは一生忘れないです。暗黒から天国、を経験しました。

経験しないほうがよかったのかもしれない盗難事件ですが、こうしていま日本に帰って振り返ると、素晴らしい経験だったんだなーって、感謝の気持と一緒に振り返れます。

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そのお借りした100ユーロ、金曜日に、Tさんの口座に送金しようと銀行に行ったところ、今は簡単に海外に送金できないことがわかり、土日も挟まり、まだ返せていません(汗)ごめんなさい!

(追記)

7月3日、横浜駅YCATのそばにあるウエスタンユニオンから送金できました。身分証明書として、パスポート以外に、マイナンバー記載の住民票が必要で(わたしはマイナンバーカード持ってないので)、京急のりば近くの行政サービスコーナー(すごくわかりにくいところ)まで走って取りに行きました。

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その後、借りたお金がまだ残っていたので、朝のカフェで2.5ユーロのコーヒーを飲み、飛行機でボローニャについて、オンラインで予約(これはカード情報でできます)したモノレールで駅まで行き、ユーレイルパス使って電車でフィレンツェへ。

フィレンツェ、サンタマリアノヴェラ駅までウーゴさんが迎えに来てくれていて、嬉しかったー。心強くてホッとしました。

(未知の世界の旅の途中でお金がなくてカードもないって、わたしはいったいどうしたんだろう!)

ウーゴさんのお友だちのお庭のパーティー、美味しいものたくさん!とくにひよこ豆のディップ、美味しかったな。パスタもパンも。ワインも。

親切な人たちたくさん!美しい景色!かわいいニワトリ!ここは天国が?私は生きているのか?わからなくなったくらいです。

途中で寝かせてもらいました。前の晩寝てないのでね。

日本の友だち(フィレンツェに留学していた方でウーゴさんを紹介してくださった方)の段取りで、ウーゴさんにお金と古いスマホを貸していただき、次の日、ウーゴさんに付き添われて駅のむかえのドコモで新たにSIMカードを買い、そのスマホに入れて、その後の旅を続けることができるようになりました。スマホがなければユーレイルパスも使えませんし、Airbnbの宿との連絡もできないし、地図もないし.、お手上げです。全てがインターネットに依存です。

日本の家族や友達とはラインで繋がってますので、ラインを繋げてるパソコンがあってよかったです!そこから借りたスマホにうまくデータを引き継ぐことができました。ユーレイルパスもレールプランナーもインストールできて使えるようになりました。パソコンはWi-Fiのないところでは使えないので、どうしてもスマホは必要でした。

ウーゴさんの親切にはほんとに感謝です。彼はずっと私のことを心配してくださってました。

フィレンツェに着いたときはまだまだ傷心。ほんとに落ち込んでいましたが、皆さんの温かいおもてなしと支援のおかげで元気になることができました。快適な部屋を提供してくださったジョルジャにもほんとーに感謝しています。

ウーゴさんにお借りしたお金は、娘から日本の友だちの銀行に振り込んでもらい、彼女を通してウーゴさんにお返しできました。

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その後の旅、あの絶望の瞬間が思い出されてしまうことはありましたが、気を取り直して、前を見て、いまこの時を楽しむことを忘れないで、一日一日を過ごしました。

カードがなくてちょっと大変なこともありましたけどね。

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旅が続けていられることのありがたさ。

健康で、よく歩けることのありがたさ。

未知の世界をこの目で見られるワクワク感。

魂のふるさとを冒険している喜び。

地球に生まれてきた使命を果たしている感覚。

どんなに遠い国へ行っても、人々がそれぞれの小さな仕事をきちんとやることで世界が保たれていることを知ったこと。

 

ほんとうに、こんな歳になって無謀とも言える冒険をしてしまいましたが、人生最高の旅でした。

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ああ、それにしても最後の最後、帰ってこないスーツケース!

 

いったい神様は私になにを学ばせようとしているのでしょうか?

すべてのものを手放しなさい、と言われている気がします。

何も持たないで生まれてきて、何も持たないで去ってゆくわたしたち。

遺すものはなくても、心のなかに、愛に出会った思い出があれば、生まれてきた目的は達成できたことになるのでしょうか。

スーツケースにはたくさんのお土産(1ユーロくらいのものばかり)が入ってます。もし戻らなければ、誰にも渡せません。でもものではないお土産をみんなに渡せることが大事なのかもしれません。

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長くなりました。読んてくださってありがとう。

では今夜はおやすみなさい。

明日から保育園に復帰です。

 

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Tさんのお話を娘たちにしたときに、その場にいた友だちがネット検索、彼の顔を見つけて感動。

彼女によって、彼の名前が「バルセロナの神さま」となづけられました。わたしは「バルセロナの天使」と説明したのですが。