VOYAGER

旅と絵の物語

パン屋の営業許可の思い出話

ブログの更新は久しぶりです!皆様お元気でしょうか?
桜の季節も終わり、バラが今や満開を過ぎた頃です。

今朝は、外は雨。6時に起床。

夕べ仕込んだパンを成形して、食パン型二本に入れる。ライ麦と全粒粉(グラハム粉)のはいった田舎パンの生地。1つはプレーン、1つはシナモンとレーズンを巻き込む。


2斤のパンは一週間くらいで食べます。孫は私のパン育ち。

自分のパンがやっぱり美味しい。国産小麦とホシノ酵母のパン。ほんの少しのキビ砂糖と海赤穂の甘塩のみ。正真正銘の無添加

大正電気の捏ね機はずっと同じ型だけど2代目。これがないと重労働になってしまうのでほんとに感謝してるよ。




毎朝少しのパン、カンパーニュ十個くらい、を売るおばあさんになろうと思ってた。

日本は食品販売の営業許可がハードル高く、なかなかできない。そもそも家庭のキッチンで作ったものはだめなのですから。

人生最初の営業許可は、稲城市ニュータウンにある二世帯住宅仕様のマンションで取った。同居していたおばあちゃんが引っ越して、キッチンが余分にあったから取れたのでした。土日の朝に焼いて、近所のコーヒー豆のお店エレファンティーノに置いてもらいました。売上の3割か2割かを払って。よく売れたけど、売れ残る日もあって、夜にご近所に配ったっけ。

マンションを売ることになり、おしまい。

二度目の営業許可は、借りていたアトリエで取りました。2020年4月。パン教室がコロナでできなくなったとき、切羽詰まってパン屋を始めたのでした。

ヤフオクで買った洗面台で手洗い場を設置し、さまざまな条件をクリアして保健所に見てもらって。外出する人のない異常事態の中でした。

二台のガスオーブン、二台の発酵器で毎朝百個くらいのパンを作りました。しんどかった!発酵させた生地を自宅から車で運んで、成形と焼成とラッピングは工房で。配達もしました。
また夜には仕込み。夏は発酵し過ぎるので19度が保てるワインセラーも買ったんですよ。

投資した設備の費用を回収したのかなー。たぶんしてない。パン屋はその年の12月に終わり。大分に移住することになったから。
大分に住むことを決めた理由の1つは、パン屋さんのお仕事が辛かったからだと思います。楽しいんだけどしんどかった。お客様ひとりひとりに配達する場所が違い、サービスしすぎて疲れたんですね、きっと。でも半年間、生活を支えてくれました。お客様になってくださった方々にはほんとに感謝しています。

1年大分に暮らしたらまた帰ってきてやろうと思っていたけど、結局やらないで(横浜に住むことになったので遠過ぎて通えない)、迷ったけど、工房は片付けた。私はいつ死ぬかわからないのに、こんなものを遺したらみんなに迷惑なんだから。本生徒さんのYさんに手伝っていただいて(ありがとう!)、パンの道具を処分。すごい量でした。

売れるものはメルカリで売りました。ガスオーブンは三万くらいと安かったのですぐに売れました。


3度目の営業許可はあり得るのでしょうか。神奈川県は東京と少し求められる条件が違う。

いつか訪れた阿蘇山売店で、80くらいのおばあさんが、いきなりだんごを焼いて売っていたっけ。たい焼きとか今川焼ならパンより簡単そう。

近所に貸カフェスペースがあり、食べ物を作って売ることもできる。ちょっと心が動きます。でも借りるのには何千円かのお金がかかるので、たぶん赤字になるね。
もうパン屋さんは卒業かなー再始動のエネルギーがない、というか、やっぱり絵を描きたいです!

さてと、孫のお弁当、作ろうかな。