朝の15分でいいから
早起きして、アマゾン・プライムの、「マイニューヨークダイアリー」という映画を見ているのですが、主人公の、作家志望だけど出版社で働くジョアンナに、サリンジャーが「朝の15分でいいから君の詩を書け」と忠告している場面がありました。
そこで私はスマホを取り上げ、これを書いています。詩人でも作家でもないけど。
毎日15分でも、一つのことをやり続けましょう。
きのうは、旅でお世話になったウーゴを私に紹介してくださったYちゃんと会いました。フィレンツェに留学していた彼女は、20年前亡くなった私の長女のお友だち。亡くなった娘の話ができるのは私にとっては嬉しいものです。
彼女から聞いて知ったのですが、いま、ヨーロッパは熱波におそわれ45℃にもなっているとか。今あの辺りを旅してなくてよかったーと思う一方、冷房もない家で暑さを耐えてる皆様にお見舞い申し上げます。
Yちゃんと別れたあと、夜、昔の職場の同僚のM(50代、シンガポール出身)とその友だちのA子さん(73歳)に会いました。二人は秋にユーレイルパスを使って1か月、ヨーロッパ周遊してきたいそうなんです!
私からの忠告は、
荷物を軽くすること
よく計算して、ユーレイルパスに何万円も払ってペイできるかどうか考えること。私の場合、最後の一週間、たくさん乗ったのでトントンだったかもしれないけど。
お二人の計画はパリ、モンサンミッシェル、ジベルニー、ベルギー、ポーランド、またフランス、スイス(できれば)、南フランス、スペイン、ポルトガル(?)、またパリ、というもので、なかなか範囲も広く、移動も長め。
大変だった自分の旅を思い出すと、がんばってね!としか言えないです。まぁ、二人だし、大丈夫でしょう。まだ暑そうな季節ですね。
Мに、あなたはどうして一人で旅をするのかと尋ねられました。
たぶん、自分自身だけと旅をしたいからでしょう。
彼女たち二人は1か月、24時間、一緒にいられる関係なのか、心配。ときどき単独行動もいいよね。
朝から暑いなー
きょうは海の日。
熱中症に気をつけて過ごしましょう。
月曜日でごみの回収日。暑いのに外で働いて下さる皆様ありがとう。
工事現場の、褐色に日焼けした警備のおじさんたちもありがとう。
7月が半分終わりました
なんか日が経つのが速いです。
6月28日に帰ってきて、
7月9日にスーツケースが帰ってきて(返ってきてと書くべきかもしれないけど)、また一週間が過ぎようとしています。
毎日、ひとつずつ、To Doリストをこなしていってます。
保険の請求も送ったし、クレジットカードの再発行も、ゆうちょのカードもあとは待つだけ、横浜市営バスの敬老パスも再発行してもらったし。
盗難事故の傷あとはほぼ塞がりました。
今朝はやっとスーツケースを空っぽにして、底にこぼれていた米粒を掃除。バルセロナで買ったお米の袋が破れてこぼれていたんです。
あとは、
★インチーザのヴェレーナに手紙を書いたけど、日数がかかるのでメールにしようと思い直し、またしてない
★パルセロナの領事館にお礼のメールすること
★オーストラリアのご夫妻にお礼のメール(アドレスを見つけた!)
が残っています。
ジブリの映画の封切りの
日。午後行ってきました。映画館は満員。
感想は?
うーん、
この世とあの世を行き来した少年のお話でした。
「風立ちぬ」のときと同じ、タイトルや時代背景は昔の文学作品から取られてはいるけど、内容は別のもの。
クライマックスが今一つ盛り上がらなかったし終わり方も唐突だったけど、思い出しながらじわじわと味わいたいと思います。
宮崎駿さん、長生きしてまだまだお仕事してくださいね!
★★★★★★★★★
きょうは、私は親孝行者だ!と思えるショート動画を見ました。
親が死んたあとに親孝行が始まる、というお話。
ひすいこたろうさんのお話です。
人生を楽しみ尽くすこと、それが親孝行。私は天国の親の自慢の娘ですね、きっと。
ヤッター!
皆様お騒がせいたしました!
きょう、嬉しいメールが!
明日、9日午前中にクロネコヤマトで届くとのこと!
紛失から10日、どこで何をしていたんだろう。ヘルシンキでうろうろしてたんだろうか。
間違えてアフリカとかアメリカとかに行ってなくてよかったー
きょう、電話したけど留守電になっていて、また月曜日に電話番号しようと思ってたんです。
あーよかった、中身の報告もいろいろ書いておいたけど、中は開けられたのかなーどうなって返ってくるのかなー
きょうは安心してゆっくり眠れるわー
いやいやまだほんとにトラちゃん見るまで気は抜けない。
でもなー、キャスターは壊れかけてるし、中のファスナーの周りも破れてるし、実は帰国したら粗大ごみで捨てるつもりだったのよね。娘に借りたものだから、新しくして返さなきゃと思ってたんです。
あーあ、何だか捨てられなくなっちゃったー。
旅の相棒。
何度もテーブルにもなった。
もしできるなら、キャスターだけ取り替えて、もう一度、一緒に旅に連れていきたい。調べてみたら「スーツケースタイヤ交換キット」というものがあるみたいです。
これでやっと落ち着いて、旅のまとめ作業に取り組めそうです。1000枚はかるく超えるだろう写真や動画、どうすればいいのでしょうね。
やることがあります。
①保険会社に盗難の被害の補償の申請書を提出すること
②インチーザのヴェレーナさんに手紙を書いて返信用封筒を入れて送り、忘れてきたメガネを送ってもらうこと。
④スーツケースの中のメモを探して、オーストラリアのお二人にメールすること
⑤描きかけのスケッチ(これもスーツケースに入ってる)を完成させること
⑥次の目標に向かって行動すること
旅をやめないトラちゃん
帰ってこないトランク。
想作は続けられてるみたいだけど、なんだか不安なメールが。
ふー、もしかして帰ってこないのかも。
担当者もこれで三人目。
今後はこちらから英語で、なんて言わないで日本語で対応してよー
トランクに入っていたもので大事なものは
免許証
パソコン(サーフェス)
あとは
あとはお土産。
旅行保険で少しは補償はされると思いますが、返ってこないかと思うとやっぱり喪失感。
孫の相手をしたり、保育園で子どもたちと遊んだり、穏やかな日常。
とりあえずはお金の心配のない日常。
乗り慣れたバスや電車。
歩き慣れた商店街や横浜駅構内。
愛想の良い店員さんたち。
しみじみと日本に帰ってきた自分を味わっています。
これ以上どうしょうもないので、スーツケースが届くのを待ち続けで、旅の余韻を楽しむことにします。
お~い、トラちゃーん!
どこにいるんだ〜
告白〈続き、長いです〉バルセロナの神さま
「何かお困りですか?」と聞いてくださった青年は、Tさんといい、事情を話すと、僕は15年バルセロナに住んでいるので領事館にはいつもお世話になっている、電話されるならば僕の電話を使ってください、と言って携帯を貸してくださり、結局私を在バルセロナ日本総領事館まで連れて行ってくださることに。
タクシーにのり、彼は運転手さんともお話して、運転手さんは「なんくるないさー」と降りるときに私を励ましてくれました。
領事館はビルの中でしたが、私一人ではとてもすんなり入れなかったと思います。Tさんはセキュリティ厳しい入り口をはいり、エレベーターで二階(かな?)に上がり、日本領事館に案内してくれました。
窓口の若い女性の方に、先ほど電話したものです、といって、パスポートの再発行をお願いすると、
①戸籍謄本を日本の家族に取ってもらいメールに添付して送ってもらう
②再発光手数料79ユーロを、日本から送金してもらう(ウエスタンユニオンという送金用の方法で)
③写真2枚
が必要とのこと。
私は持参した戸籍謄本と写真1枚を出しましたら、あ、これは原本ですね、と少し驚いておられました。でも写真は2枚必要とのことで、近くの写真屋を教えてもらいました。
でも、領事さんの取り計らいでなんとかコビーをしてもらい、写真はオーケー。そしてなんと79ユーロはTさんが建て替えてくださることに!
これで必要なものは揃ったので今日中に再発行ができます、よかったー!
と喜んだのもつかの間、警察が作ってくれた盗難届の書類のとられたものリストに、パスポートが入ってないので、これでは再発行できませんよ、と言われ、、、もう一度警察に行って書類を作り直してもらって、と言われてしまいました。警察って、さっきのところはどこなのか見当もつきません。さっきの警察ではなくて近くのところでいいでしょうということで、またTさんに連れて行ってもらい、受付の方に説明してくれて、盗難届の追加分を書いてもらいました。混んでなくて良かったです!
領事館に戻り、書類を出して、(その時にはもう新しいものができてました!ありがとうございます!)無事私はその日のうちに再発行してもらえるという奇跡を経験したのでした。
Tさんとは領事館のビルの前でお別れし、その後は、領事館の女性職員の方がお二人、バスに乗って駅まで送ってくださり、切符を買って空港行きの電車に乗るまで見届けてくださいました。本当にありがたかったのです。
飛行機にはちゃんと間に合い、チェックインも済ませ、(Tさんが、パスポート番号が予約の時と違う理由をスペイン語で説明した紙をくださってましたので問題なくチェックインできたのでした、なんて細かいお気遣い)荷物も預けてホッと一息。
ところが!
ちゃんと搭乗口に並んでいたはずが、なんとボローニャではなく、同じ8時40分発の、ブタペスト行きの搭乗口だったのです!たぶんわたしはまだ平常心を失ったままだったのでしょうね。
とぼとぼとライアンエアーのオフィスに行き、そこにぽつんと置かれた白いスーツケースと再会。乗らなかったから荷物は降ろされたのでした。
次の便は明日の朝8時、キャンセルできないチケットだったので、チケットの買い直し。100ユーロ。(これは日本に置いてきたマスターカードの番号を控えていて、そのメモがスーツケースに入っていたので、その情報で買えました。それもなくしてたら、と思うと気が遠くなります。この、日本に置いてきたカード、何故おいてきたか話すと長くなるので書きませんが、偶然の出来事で、置いてこなければならなくなったのでした。ほんとに良かった)朝四時半にカウンターに並んで、といわれて、ベンチでしょんぼり。他の人も何人かいましたので怖くはなかったです。領事館でいただいたもみじ饅頭を食べ(美味しかったー)、パソコンの充電のできる場所で、少しはうとうとできたでしょうか。
朝3時半ごろからカウンターに並び始めた人たちがいたので私も並び、チェックインをしました。
もうほんとにせっかくみんなが頑張ってくださって飛行機に間に合わせてくださったのに、何ということでしょう。歳のせいとは思いたくないけど、搭乗口を間違えるなんて人生初めての失敗でした。おかげでボローニャで予約していた、この旅で唯一のまともなホテルが無駄になりました。
6月1日はほんとーに暗黒の一日、一日中喉がカラカラ、心臓はドキドキ。でもそんな中で出会った優しい人たち、見ず知らずの私にずっと一緒にいて助けてくださり、おまけに100ユーロ15000円ものお金を貸してくださったTさん、融通を効かせてくださった領事さん、何も食べてないでしょうと、もみじ饅頭をくださり、バスに乗って送って来てくださったYさんと?さん(伺ったけど忘れてしまいました)、皆さん本当に本当にありがとうございました!わたしは一生忘れないです。暗黒から天国、を経験しました。
経験しないほうがよかったのかもしれない盗難事件ですが、こうしていま日本に帰って振り返ると、素晴らしい経験だったんだなーって、感謝の気持と一緒に振り返れます。
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そのお借りした100ユーロ、金曜日に、Tさんの口座に送金しようと銀行に行ったところ、今は簡単に海外に送金できないことがわかり、土日も挟まり、まだ返せていません(汗)ごめんなさい!
(追記)
7月3日、横浜駅、YCATのそばにあるウエスタンユニオンから送金できました。身分証明書として、パスポート以外に、マイナンバー記載の住民票が必要で(わたしはマイナンバーカード持ってないので)、京急のりば近くの行政サービスコーナー(すごくわかりにくいところ)まで走って取りに行きました。
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その後、借りたお金がまだ残っていたので、朝のカフェで2.5ユーロのコーヒーを飲み、飛行機でボローニャについて、オンラインで予約(これはカード情報でできます)したモノレールで駅まで行き、ユーレイルパス使って電車でフィレンツェへ。
フィレンツェ、サンタマリアノヴェラ駅までウーゴさんが迎えに来てくれていて、嬉しかったー。心強くてホッとしました。
(未知の世界の旅の途中でお金がなくてカードもないって、わたしはいったいどうしたんだろう!)
ウーゴさんのお友だちのお庭のパーティー、美味しいものたくさん!とくにひよこ豆のディップ、美味しかったな。パスタもパンも。ワインも。
親切な人たちたくさん!美しい景色!かわいいニワトリ!ここは天国が?私は生きているのか?わからなくなったくらいです。
途中で寝かせてもらいました。前の晩寝てないのでね。
日本の友だち(フィレンツェに留学していた方でウーゴさんを紹介してくださった方)の段取りで、ウーゴさんにお金と古いスマホを貸していただき、次の日、ウーゴさんに付き添われて駅のむかえのドコモで新たにSIMカードを買い、そのスマホに入れて、その後の旅を続けることができるようになりました。スマホがなければユーレイルパスも使えませんし、Airbnbの宿との連絡もできないし、地図もないし.、お手上げです。全てがインターネットに依存です。
日本の家族や友達とはラインで繋がってますので、ラインを繋げてるパソコンがあってよかったです!そこから借りたスマホにうまくデータを引き継ぐことができました。ユーレイルパスもレールプランナーもインストールできて使えるようになりました。パソコンはWi-Fiのないところでは使えないので、どうしてもスマホは必要でした。
ウーゴさんの親切にはほんとに感謝です。彼はずっと私のことを心配してくださってました。
フィレンツェに着いたときはまだまだ傷心。ほんとに落ち込んでいましたが、皆さんの温かいおもてなしと支援のおかげで元気になることができました。快適な部屋を提供してくださったジョルジャにもほんとーに感謝しています。
ウーゴさんにお借りしたお金は、娘から日本の友だちの銀行に振り込んでもらい、彼女を通してウーゴさんにお返しできました。
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その後の旅、あの絶望の瞬間が思い出されてしまうことはありましたが、気を取り直して、前を見て、いまこの時を楽しむことを忘れないで、一日一日を過ごしました。
カードがなくてちょっと大変なこともありましたけどね。
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旅が続けていられることのありがたさ。
健康で、よく歩けることのありがたさ。
未知の世界をこの目で見られるワクワク感。
魂のふるさとを冒険している喜び。
地球に生まれてきた使命を果たしている感覚。
どんなに遠い国へ行っても、人々がそれぞれの小さな仕事をきちんとやることで世界が保たれていることを知ったこと。
ほんとうに、こんな歳になって無謀とも言える冒険をしてしまいましたが、人生最高の旅でした。
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ああ、それにしても最後の最後、帰ってこないスーツケース!
いったい神様は私になにを学ばせようとしているのでしょうか?
すべてのものを手放しなさい、と言われている気がします。
何も持たないで生まれてきて、何も持たないで去ってゆくわたしたち。
遺すものはなくても、心のなかに、愛に出会った思い出があれば、生まれてきた目的は達成できたことになるのでしょうか。
スーツケースにはたくさんのお土産(1ユーロくらいのものばかり)が入ってます。もし戻らなければ、誰にも渡せません。でもものではないお土産をみんなに渡せることが大事なのかもしれません。
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長くなりました。読んてくださってありがとう。
では今夜はおやすみなさい。
明日から保育園に復帰です。
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Tさんのお話を娘たちにしたときに、その場にいた友だちがネット検索、彼の顔を見つけて感動。
彼女によって、彼の名前が「バルセロナの神さま」となづけられました。わたしは「バルセロナの天使」と説明したのですが。
告白
きょうは、ばかな自分が恥ずかしくてここにはなかなか書けなかった、旅の途中の事件について打ち明けます。
6月1日、バルセロナ最後の日、イタリア、ボローニャ行きの飛行機に乗り遅れて飛行場で夜を明かしたお話はしましたが、その日の午前10時50分、わたしはピカソ美術館のある旧市街へのツァーの申込みをしていて、集合場所の凱旋門広場に行ってました。ツァーの主催者はAirbnbの写真ではインド系の男性で、その人を探していました。リュックから水を出そうと、ショルダーバッグを外してリュックを下ろしていたときに、写真の人に似た人がやってきて、スマホを見せながらなにか言ってきたので、てっきり主催者の人だと思い、警戒心もなく対応していたら、さっと行ってしまったので、ん?と思った途端、ショルダーバッグがなくなってることに気づき!
その日はバルセロナを出る日で、スーツケースは駅に預けていました。その日の朝、いつもは首にかけているパスポートと紙幣の入った袋、予備のスマホ、まだすべてショルダーにまとめていたのです。その日に限って!
追いかけましたが電動スクーターでどんどん行ってしまい、おバカでかわいそうな日本のおばあさんは佇むしかなく・・・
あそこにポリスがいるよと誰かに教えられ、パトカーがいたのでバッグ盗まれましたと伝えましたが、もう探せるはずもなく、警察署に届けなさいと言われました。
ツァーのグループが集合しているところへ行き、事情を話してきょうは参加できないと伝えました。
教えてもらった方向に歩いていきましたが、通り過ぎたのか、行けども行けども警察署は見つからず、道の人に聞きながらあっち、と言われる方に歩き、信号で、ある若いカップルに事情を話してマップでポリスオフィスを探してもらい、これは遠いから電車に乗りましょうと言って切符を買ってくれて、二人で警察までついていってくれました。警察で別れるときに、水と10ユーロをくださいました。この親切な二人はオーストラリアの人たちで、ものを取られただけで良かった、命も無事だし、このあたりは子どもを取られることもあるんだよ、と慰められました。
警察で英語が話せる人が対応してくれて、被害届を書いてもらい、カード会社に電話させてもらいました。苦労の末、日本語対応の窓口に繋がり、2枚のうち1枚だけ(カード番号を暗記していたほう)は止めることができました。
日本領事館にも電話しましたが、お昼休みが三時半まで!繋がりませんでした。
それから、二十分歩いてバルセロナ駅にいき、預けた荷物を出してきてもらって、中から、万一のために用意してきた、パスポート再発行のときのための戸籍謄本(我ながらすごい用意周到!虫の知らせ?)と写真、あとパソコンを出して、それを持って日本領事館へ行くことにしました。場所もわからないしお金もないのでタクシーでいくしかないのですが、タクシー代を領事館が建て替えて払ってくれるかどうか、まず電話して訊こうと思い(番号は警察で控えてきた)、電話を探してもなくて、警察官の人に頼むと、駅の詰め所までは連れて行ってくれたのですがすぐには電話は貸してもらえず、、もうその頃にはヘトヘトで詰め所の前に座り込んでいたところに、、、
一人の日本の青年が通りかかり声をかけてくれたのです。「何かお困りですか?」って。
「バルセロナの神さま」が私の前に現れ瞬間でした!もう、それは、奇跡と言うしかなく、一億円の宝くじが当たるよりさらに幸運な一瞬でした。
(すみません、眠くなったので続きは明日にします)